これは何の話?
人は、自分がいつか死ぬと分かっていて、どう生きるのか?
この問いを、古代メソポタミアで長い時間をかけて成立した『ギルガメシュ叙事詩』を通して考えた発表。
きっかけとなったのは、身近な人の死に触れたことで、
時間には限りがあること
自分自身もいつか死ぬこと
そして、
自分は最後に何を残すのか
を考えるようになったことだった。
『ギルガメシュ叙事詩』でも、主人公ギルガメシュは親友エンキドゥの死によって初めて、自分自身の死を現実的なものとして意識する。
そして、
名声を残そうとする
↓
大切な人を失う
↓
自分の死が怖くなる
↓
不老不死を探す
↓
それでも死から逃れられない
という旅を経験する。
しかし物語は最後に、
「だから人生とはこういうものだ」
という明確な答えを語らない。
ギルガメシュは、旅の出発点だった都市ウルクへ戻る。
そこで何を見つけたのか。
その問いを、約4000年後の私たちにも残している物語である。
まず結論
『ギルガメシュ叙事詩』の中心には、
「人間は死ぬ」
という、どうやっても避けられない問題がある。
物語前半のギルガメシュは、自分が死ぬことを知識としては知っている。
だからこそ、
死ぬなら、せめて名を残そう。
と考えて冒険へ出る。
しかし、親友エンキドゥが実際に死んだことで、その意味が変わる。
それまで遠くにあった「死」が、
「自分にも本当に起きること」
になる。
そこからギルガメシュは、不死そのものを求め始める。
しかし最終的に、
不死を得られない
眠りにも勝てない
若返りの植物も失う
という形で、肉体的な永遠を手にすることには失敗する。
そしてウルクへ帰る。
この結末を、
「名声や都市を残すことに永遠を見出した」
と読むこともできる。
一方で、原典のギルガメシュ自身が、
「私は人生の意味を悟った!」
と明言するわけではない。
だからこの物語は、
死を克服する方法を教える話というより、死から逃げられないと知った人間が、その後どう生きるのかを考えさせる話
として読むことができる。
Knowledge ― 4000年近く続く文学はどう作られた?
ギルガメシュとは?
ギルガメシュは、古代メソポタミアの都市ウルクの王として伝わる人物である。
実在した可能性はあるものの、物語に描かれている冒険をそのまま史実として扱うことはできない。
『ギルガメシュ叙事詩』は、
実在したかもしれない王を中心に、複数の物語や伝承が長い時間をかけて組み合わされて成立した文学作品
である。
そのため、
「約4000年前に一人の作者が書いた一冊の本」
というイメージとは少し違う。
古いシュメール語の独立した物語などがあり、
語られる
↓
書かれる
↓
写される
↓
別の物語と組み合わされる
という過程を経て、後の標準バビロニア版へとまとまっていった。
バラバラだった物語が一つの叙事詩になる
発表資料では、
森の守護者フワワ/フンババ
天の牡牛
冥界と死
洪水伝承
など、もともと存在した複数の物語が、長い歴史の中で再構成されていく様子が示された。
標準バビロニア版は、
『深淵を見た者』
という言葉から始まる作品として知られている。
現在私たちが「ギルガメシュ叙事詩」として読むものは、この長い伝承・編集の積み重ねの結果なのである。
つまりこの作品自体が、
人間が何千年にもわたって物語を残し、作り替え、次の世代へ渡してきた結果
でもある。
Practice ― 一人の王の旅を追う
強すぎる王ギルガメシュ
物語は都市ウルクから始まる。
ギルガメシュは非常に強い王だった。
しかし、その力ゆえの振る舞いに人々は苦しんでいた。
そこで神々は、
ギルガメシュに匹敵する存在
として野人エンキドゥを生み出す。
エンキドゥとの出会い
自然の中で生きていたエンキドゥは、人間の世界へ入っていく。
そしてギルガメシュと出会い、二人は最初にぶつかり合う。
しかし互いの強さを認め、
唯一無二の仲間
になっていく。
ここから二人はともに冒険へ出る。
「どうせ死ぬなら名を残そう」
ギルガメシュは、人間が永遠には生きられないことを知っていた。
そこで、
命は残らなくても、名前なら残せる。
と考える。
二人は名声を得るため、杉の森の守護者フンババに挑む。
そしてフンババを倒す。
さらに女神イシュタルが送った天の牡牛まで倒してしまう。
二人は大きな偉業を成し遂げる。
しかし、その行動は神々の問題となる。
エンキドゥの死
神々は、エンキドゥの死を決める。
エンキドゥは病に倒れ、ギルガメシュに看取られながら死んでいく。
ここで物語は大きく変わる。
それまでのギルガメシュは、
「人間はいずれ死ぬ」
ということを知っていた。
しかし、
知っていることと、大切な人が目の前で死ぬことは違う。
エンキドゥの死によって、
死
は抽象的な知識ではなくなる。
Inherent Talent ― 他人の死から、自分の死を知る
親友を失ったギルガメシュは深く嘆く。
そして、
「エンキドゥが死んだなら、自分もいつか同じように死ぬのではないか?」
という恐怖に取りつかれる。
ここが物語の大きな転換点になる。
以前は、
死ぬから名を残す
だった。
しかし今度は、
死そのものから逃れたい
と考えるようになる。
これは単なる知識の変化ではない。
自分と同じように生き、話し、戦っていた親友が死ぬ。
その経験を通して、
自分の有限性を身体感覚に近い形で知ってしまう。
この変化が、不死を探す長い旅を始めさせる。
不死者ウトナピシュティムを探す
ギルガメシュは、死から逃れる方法を求めて旅に出る。
目的は、
ウトナピシュティム
という、不死を得た人物に会うこと。
長い旅の末、ギルガメシュはついに彼と出会う。
ウトナピシュティムは、かつて大洪水を生き延び、その後、妻とともに特別に不死を与えられた存在だった。
しかし、
その不死は、ギルガメシュが同じことをすれば得られるような方法ではなかった。
特別な出来事として与えられたものだった。
まず「眠り」にすら勝てない
ギルガメシュは不死を望む。
そこで、
「それなら、まず眠らずにいられるか?」
と試される。
しかしギルガメシュは眠ってしまう。
永遠の命を求めて世界の果てまで来た人間が、
日常的に訪れる小さな「意識の断絶」である睡眠にすら抗えない。
肉体を持つ人間としての限界が示される場面でもある。
最後の希望 ― 若返りの植物
不死は手に入らなかった。
しかし最後にギルガメシュは、
老人を若返らせる植物
を手に入れる。
完全な不死ではない。
それでも、死に対抗する最後の可能性が残ったように見える。
ところが帰り道。
ギルガメシュが水浴びをしている間に、植物の香りを嗅ぎつけた蛇が現れる。
蛇は植物を奪い、皮を脱いで去っていく。
ギルガメシュは、
最後に残っていた若返りの可能性まで失う。
そして、ウルクへ戻る
永遠の命もない。
若返りの植物もない。
ギルガメシュは結局、何も持たずにウルクへ帰る。
そして物語は、出発地点でもあったウルクの城壁へ戻ってくる。
場所としては、
最初と同じ場所
である。
しかし、
旅に出る前のギルガメシュと、帰ってきたギルガメシュは同じなのか?
という問いが残る。
Value ― 死ぬと分かっていて、どう生きる?
ここからが今回の発表で最も重要な部分になる。
ギルガメシュは、
永遠の命
を手に入れることには失敗した。
では、その旅には何の意味があったのか。
「肉体の不死」から「残るもの」へ?
一つの読み方として議論されたのが、
肉体的な不死ではなく、名前・功績・都市など、自分が死んだ後にも残るものへ価値が移ったのではないか
という解釈である。
物語の前半から、ギルガメシュは名声を求めていた。
そして物語の最後には、ウルクの城壁が示される。
人間本人は死ぬ。
しかし、
名前
建造物
成し遂げたこと
他人の記憶
は、自分より長く残ることがある。
その意味で、
「残すこと」が、人間に可能な別の永続性なのではないか
と読むことはできる。
ただし、物語は答えを決めていない
ここで注意したい。
原典の最後でギルガメシュが、
「私は理解した! 人生とは功績を残すことだ!」
と演説するわけではない。
発表資料でも、
ここからは物語の「答え」を決めつけない
という整理がされていた。
考えられるものとして、
名声
都市・人々
知恵
などがある。
しかし、
「ギルガメシュは結局、何を見つけたのか?」
という問いは、読む側に残されている。
この「答えを閉じない」こと自体が、4000年近く読み続けられてきた理由の一つなのかもしれない。
質疑応答から見えてきたこと
ギルガメシュは本当に死を受け入れたのか?
議論では、
「最後にウルクへ戻ったことで、ギルガメシュは死を受け入れたと言えるのか?」
という問いが出た。
一つの解釈として、
不老不死を探す
から、
国や城壁、名前や功績を残す
という方向へ変わった可能性がある。
つまり、
永遠に「生きる」ことから、死んだ後にも何かが「残る」ことへ、不死の意味が変わった
と見ることができる。
ただし、
完全に死への恐怖を克服した
とまでは、物語から明確には言えない。
若返りの植物を最後まで求めていたことからも、簡単に諦めたわけではなかったと見ることもできる。
同じ場所に帰ったのに、同じではない
ギルガメシュは、
ウルクから出発
し、
最後に、
ウルクへ帰る。
地理的には一周している。
しかしその間に、
友情
栄光
喪失
死への恐怖
不死への執着
失敗
を経験している。
だから、
スタート地点へ帰ることと、元の自分に戻ることは同じではない。
という読み方も議論された。
これは「旅」という物語の構造としても面白い。
『ペルソナ3』との共通点
質疑では、『ペルソナ3』とのテーマ的な共通点も話題になった。
特に、
メメント・モリ ― 死を想え
死を避けられないものとしてどう受け止めるか
限りがあるからこそ、どう生きるか
誰かの記憶に残ること
といった問いには重なる部分がある。
ただし、これは『ギルガメシュ叙事詩』そのものの解釈を証明するものではなく、
約4000年前の物語と現代作品の双方に、人間の死生観という似た問いを見いだせる
という比較として出てきた話である。
この発表から考えられること
『ギルガメシュ叙事詩』がおもしろいのは、
4000年近く前の人間も、身近な人が死んだことで「自分も死ぬ」と怖くなっていた
というところにある。
科学も社会も生活も、当時とはまったく違う。
それでも、
大切な人を失う
↓
自分の死を考える
↓
死にたくないと思う
↓
じゃあ何を残せるのかと考える
という流れは、現代でもかなり理解できる。
人間は昔から、
死そのものを避けられないなら、何を残せるのか
を考えてきたのかもしれない。
「残す」とは、何を残すことなのか?
ギルガメシュなら、
名前
偉業
都市
が候補になる。
しかし現代なら、それだけとは限らない。
子ども
作ったもの
書いた文章
誰かに伝えた知識
誰かの記憶
他人に与えた影響
など、残り方にはさまざまな形がある。
しかも、それが永遠に残る保証もない。
都市も壊れる。
名前も忘れられる。
データも消える。
それでも人間は、
自分の時間を何かへ渡しながら生きている。
『ギルガメシュ叙事詩』そのものが何千年も残っていることを考えると、
「何を残すのか?」という問いを残すこと自体が、残るものになる
という見方もできる。
死を考えることは、生を考えることでもある
ギルガメシュは、死を恐れて旅へ出る。
そのためこの作品は、
死についての物語
に見える。
しかし、
死から逃れられないなら、限られた時間をどう使うのか
という問いに変えると、
生き方についての物語
でもある。
死を完全に忘れて生きることもできる。
死だけを考え続けることもできる。
その間で、
いつか終わると分かっていながら、それでも何をするのか。
そこに今回持ち帰る問いがある。
まとめ
『ギルガメシュ叙事詩』は、古代メソポタミアで複数の伝承が長い時間をかけて再構成されて成立した文学である。
物語では、強大な王ギルガメシュがエンキドゥと友情を結び、偉業を成し遂げる。
しかしエンキドゥの死によって、
「人間は死ぬ」という知識が、「自分も本当に死ぬ」という恐怖へ変わる。
ギルガメシュは不死を探す旅へ出るが、
不死は得られない。
眠りにも勝てない。
若返りの植物も失う。
そして、何も持たずにウルクへ戻る。
ただし物語は、
「だから人生の意味はこれだ」
とは言わない。
名声なのか。
都市なのか。
知恵なのか。
他人に残る記憶なのか。
あるいは、別の何かなのか。
最後に残るのは、
「人は死ぬと分かっていて、どう生きるのか?」
という問いそのもの。
約4000年前から人間が考えてきた問いを、現在の自分にもそのまま返してくる物語である。
👶 ドパガキ向け:つまり何?
ギルガメシュ:
「人間いつか死ぬのか……」
↓
ギルガメシュ:
「じゃあ超デカいことして名前残す!!!!」
↓
エンキドゥ:
「一緒にやろうぜ!!!!」
↓
二人:
フンババ撃破!!!!
天の牡牛撃破!!!!
↓
神々:
「やりすぎ。」
↓
エンキドゥ:
死亡
↓
ギルガメシュ:
「…………」
↓
ギルガメシュ:
「待って。」
「こいつが死ぬなら俺も死ぬじゃん?????」
↓
死、急にリアルになる。
ギルガメシュ:
「不老不死ください!!!!!!!!」
↓
ウトナピシュティム:
「まず寝ないでみて。」
↓
ギルガメシュ:
爆睡
↓
人類、睡眠にすら勝てない。
ギルガメシュ:
「でも若返る草ゲットした!!!!」
↓
蛇:
「いただきます。」
↓
ギルガメシュ:
「……………………」
結局、
不死なし。
若返りなし。
↓
ギルガメシュ:
ウルクに帰る。
人類:
「で、結局何が分かったの?」
原典:
「それはお前が考えろ。」
超結論
親友が死んで、「俺も死ぬじゃん!!!!」と本気で気づいた王様が、死から逃げるために世界の果てまで行ったけど、結局逃げられなかった話。
でも最後は、
最初にいたウルクへ帰ってくる。
肉体は永遠にならない。
じゃあ、
名前?
作ったもの?
国?
子ども?
誰かの記憶?
誰かに与えた影響?
何を残す?
そして、
どうせ死ぬなら、今ある時間を何に使う?????
という問いが残る。
4000年前の人類、今とだいたい同じことで悩んでる!!!!
参照文献・資料
George, A. R. (2020). The Epic of Gilgamesh: The Babylonian Epic Poem and Other Texts in Akkadian and Sumerian (2nd ed.). Penguin Classics.
George, A. R. (2010). The Epic of Gilgamesh. In C. Bates (Ed.), The Cambridge Companion to the Epic (pp. 1–12). Cambridge University Press. https://doi.org/10.1017/CCOL9780521880947.001
Spar, I. (2009). Gilgamesh. Heilbrunn Timeline of Art History. New York: The Metropolitan Museum of Art.
SOAS University of London, BAPLAR. The Epic of Gilgameš, Standard Version, Tablet XI. Translation based on A. R. George, The Babylonian Gilgamesh Epic (Oxford University Press, 2003).
※ 発表資料中の物語説明は、標準バビロニア版の各Tabletおよび上記資料をもとに構成されている。発表内のイラストは説明用であり、古代の実景・人物像を復元したものではない。
